今日は、高校時代のサッカー部仲間の母親のお通夜だった。
直接的に彼の母親に会ったことはないが、身近な人間が亡くなるのはつらい。 運命のいたずらで母親との永遠の別れをしなければならない彼のことを考えると、やっぱりつらい。 その後、久々に集合したサッカー部仲間8人と会食。もんじゃ焼きとお好み焼きを食す。 高校時代のサッカー部のメンバーは、魅力的な人間性を備えている者だらけ。やっぱN高生は一味も二味も違う。 一緒に居るといつも圧倒されてしまうが、このようなメンバーに巡り合えたことに感謝。 今日の再会では皆成長し、昔とは違った雰囲気を醸し出していたが、それぞれのキャラクターは相変わらずだった。 昔と変わらないそれぞれの個性と接し、なんだかほっとしたような気分がした。 変わらないものって、人を落ち着かせるよね?と、久々の更新でした。 #
by R_soccer
| 2006-01-21 01:37
#
by R_soccer
| 2005-09-15 18:04
オープンスクールが終わった直後の土曜日と日曜日に、いとこのゆうちゃん・・・いや、ゆうさんが実家に泊まりに来た。
一個下のいとこ。でも、既に社会人。彼には、もはや親しげにゆうちゃんと呼べない位の大人の雰囲気が漂っていた。 迎えるこちら側も客人として丁重に迎え入れ、浦和レッズ VS マンチェスターユナイテッドの試合を観ながら会話を楽しんだ。 両親が特別に用意した酒をたしなみながら、サッカーやバイク、そして仕事の話に華を咲かせた。 今回は家族がゆうさんをもてなしたが、いつか機会があれば自分とゆうちゃんの2人だけで東京を廻りたい。 そして昨日は、高校時代の親友であるsakuとgomeと久々に再会し、吉祥寺で飲んだ。 sakuとgomeはサッカー部仲間。高校一年の時、僕とsakuとgomeはほとんど一緒にいた。この3人は、様々な密度の濃い時を共に過ごした仲だ。 なぜかこの3人の組み合わせでまず思い出すのは、朝の霞みがかかった誰もいない高校のグランド。 なんでだろう?3人でよく朝連をしていたからだろうか。でも、それ以外にも、3人には様々な共有できる思い出がある。 そんないろいろな思い出話も酒のつまみにしながら、高校時代の部活のこと、それぞれの近況報告、恋愛話など話は多岐に渡った。 sakuは大学でもサッカーを続け、現在は法科大学院を目指して勉強中。サッカーに関しても、恋愛に関しても、勉強に関しても一途な男。 でも、実家で一人暮らしをしているといいながらも、自炊していないらしい。実家で一人暮らしという時点で ? なのに、自炊なしと聞いてさらに ?? 。 言葉の飛躍はsakuらしくもあり、それは高校時代から変わっていなかった。 gomeは、頭の切れる男。高校時代の部活では、キャップに愚痴を言われる2人の副キャップがいる中で、部長としてチームをよくまとめていたと思う。 キャップであるチョッパー(現ダンサー)は、理不尽なサッカー部の指導者に対して反抗するだけのイノッチと、 自分のことだけしか考えていない僕という2人の副キャップに対する愚痴を、sakuにこぼしていたみたい。チョッパー、ゴメンよ。 それはおいといて、gomeは新しい彼女ができて幸せな生活を送っているらしい。その彼女はとても頼りがいがありそうだった。 2人とも恋愛に関する話題は結構豊富だった。そういった類の話は苦手だが、いろいろな深い話を聞けて楽しめた。 「 期待するから失望するんだ 」・・・これは、店を出た後にちょっとだけ立ち寄った夜の井の頭公園で、gomeが放った言葉。 恋愛にどういう風に当てはまるのかはいまいちつかめないが、そうらしい。 再会してみて感じたことは、やっぱり高校時代の仲間は何か違うということだった。 うまくいえないけど、話の内容の密度が濃いというか、共有できるものの密度が濃いというか。 今はそれぞれがそれぞれの道を歩んでいるが、3人とも高校時代そのままだったので気張らずに飲めた。 その時間はとても心地よいもので、なんだかんだと忙しい日々から解放されるには最適だった。 最後に、どこかでサッカーをしてからsaku宅に泊まり込むという、高校時代によくやっていたことの再現となる約束をして、僕らは別れた。 #
by R_soccer
| 2005-08-04 19:08
実は物事を共有するということが、とても苦手だ。
共感するということはできるんだけど、どうしても共有するということができない。失格ですね。 高校時代の部活を振り返ってみると、朝や昼のサッカーの自主連はあくまで自分の向上心によるものだった。あくまで、自分のため。 もちろん試合の中で自分勝手な個人プレーに走ることはなく、チームとしての決まりごとは最低限守っていた。(よね?) でも、それは別に意識してのことではなく、よく言えば経験による感覚から、悪くいえば何となくやっていたことだった。 全く自分の感覚だけでプレーしていたから、チーム戦術というものに対する意識は皆無だった。 大会で誇れるような結果を生み出したいという気持ちだけはかなり強かったのに、 チームとしてよい結果を生み出すという価値を、その時は共有できてはいなかったのだ。 それは、今もあまり変わっていない。何でも自分だけの力で完成させたいと思ってしまう。 要は、全てのことが自己完結。物事を共有するというのができていないのだ。反省。 で、そんなことはさしおき、価値観の共有化って何だろうな、って、ブログを始めてからそんなことを考えるようになった。 ブログを始めてから面白いと思ったのは、スポーツトレーナーを目指している一学生、HamaQ、Malcoなど、 分野が違い、お互いに面識がない友人たちでも共通して共感できるであろう発言があるということ。3人ともサッカー経験者だから。 たとえば、3人のそれぞれのHPやブログでの発言を勝手に引用させてもらうと、 『 「 勝つ、って意味が分かってるの?じゃあそこに行くまでの練習のきつさは分かるの? 」 …2人はその「勝つ」ということの難しさや、 そこに至るまでの苦しみなどを経験していたからこそ、普通にそのような発言が出たと思う 』 (スポーツトレーナーを目指している一学生) 『 文句ばっかいってても何も始まらないんだよね。 』 (hamaQ) 『 スポーツや音楽にとって重要なことは、いかに技術を無意識のレベルまで落とし込むことができるか 』 (Studio Malco) サッカー経験者じゃなくても、スポーツ経験者ならこれらの発言(価値観)に思わず共感してしまうのではないだろうか? でも、共感するだけでは価値観の共有化にはならない。共感するということは、あくまで自分の中で完結してしまうことだから。 ここで重要となることは、単に僕の中学時代、高校時代、大学(学部)時代の友人であるというだけで、3人が互いに面識がないということ。 つまり、3人が共通する土俵上にいないから、ある価値(目的)を互いに共有することができないのだ。 価値観を共有するというのは、チーム(集団)がある価値(目的)に向かっている時に必要となる。 そして、それを達成させるには、個々人が明確な価値観を持っていることが不可欠だ。 互いに、価値観を提示し合うということ。他の人の意見を尊重するということ。その中から、各々の妥協点を見出すということ。 これらは、とても重要な要素だ。独断的な意見の押し付け合いは、何も生み出さない。 #
by R_soccer
| 2005-07-13 19:19
|
>>soccer ここでは,サッカーに関する記事を掲載しています. ≫ 私の日々の駄文は、こちらR_noteへ. ≫ ポートフォリオは、こちらR_note_worksへ. ≫ 修士論文のメモは、こちらR _ note _ master's thesisへ. 最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||